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旭川家庭裁判所 昭和50年(家)643号 審判 1976年4月12日

申立人 中山陽子(仮名)

主文

申立人が

本籍 北海道○○市××○区×条△丁目○○○番地

氏名 中山陽子

生年月日 昭和二五年七月九日生

父の氏名 林洋一郎

母の氏名 亡中山ちよ

父母との続柄 女

として就籍することを許可する。

理由

1  申立人は、主文同旨の審判を求めた。

2  当裁判所の調査の結果(関連事件当庁昭和五〇年(家)第七六九号、昭和五一年(家イ)第五二号の各調査結果を含む)によれば、次の事実が認められる。

(イ)  申立人は、昭和二五年七月九日母中山ちよ、父林洋一郎間の婚姻外の子として樺太○○郡××村字△△で出生した。

(ロ)  母中山ちよは、大正一二年ころ、樺太×××郡で農業を営んでいた中山三郎と婚姻し(本籍地、樺太)、同人との間に四児をもうけたが、終戦を迎えた昭和二〇年一一月、家族そろつて樺太△△郡△△町に移住し、同地にある漁場の飯炊きをして家計を助けていた。他方、父林洋一郎は、大正一二年六月ころ本籍地(北海道○○郡△△村××一一七番地)を出奔して樺太に渡り、△△町で漁業に従事していたものであるが、昭和二一年六月ころ右ちよと親しくなり、同町内で同女と同棲生活をはじめ、その後同女とともに○○、△△と居を移し、△△で前記(1)のとおり申立人が誕生したのであるが、当時樺太においてはその出生届をするてだてがなかつたのでそのまま放置された。

(ハ)  その後ちよは、脚気を患い、昭和二七年三月二一日○○で死亡した(同女は、中山三郎と正式に離婚しないままであつた。なお中山三郎は、昭和三二年九月一七日付の就籍許可の審判をえてその旨の届出をなし、北海道××郡○○町字○○××六六八一番地を本籍地とする新戸籍が編製された。)ので、申立人は、同地で木村忠夫夫婦に事実上の養子として預けられ、昭和三三年一月一四日右木村夫婦に連れられて日本に引き揚げてきた。以後申立人は、先に帰国していた相手方に引きとられて成長し、現在は縁あつて戸田勝男と結婚し、表記住所地において同棲生活を送つているものであるが、無籍のため同人との婚姻届ができない状態にある。

3  以上認定の事実によれば、申立人は、日本人であり、かつ戸籍の記載のないものであることが明らかであるから、本件申立てを認容することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 松本昭彦)

参考 旭川家昭五一(家イ)五二号昭五一・三・一審判 申立人中山陽子 相手方林洋一郎

主文

相手方は、申立人を認知する。

理由

1 昭和五一年二月一三日の本件調停期日において、当事者間に主文同旨の審判を受けることについての合意が成立し、かつその原因たる事実関係についても争いがない。

2 関連事件(当庁昭和五〇年(家)第六四三号、七六九号)記録添付の各戸籍謄本、引揚証明書(写)、家庭裁判所調査官の各調査報告書並びに申立人、相手方および中山三郎の各審問の結果によれば、次の事実が認められる。すなわち

(イ) 申立人の母中山ちよは、大正一二年ころ、樺太×××郡×××村で農業間営んでいた中山三郎と婚姻し(本籍地、樺太)、同人との間に長女道子を頭に四児をもうけたが、終戦を迎えた昭和二〇年一一月、家族そろつて樺太△△郡△△町に移住し、同地にある漁場の飯炊きをして家計を助けていた。ところが翌昭和二一年六月ころ、右そめは、同じく漁業に従事していた相手方林洋一郎と親しくなり、やがて四児を連れて夫三郎の家を出、同町内で相手方と同棲生活をはじめ、翌昭和二二年六月ころ相手方とともに○○に移つたが、その居所が夫三郎の知れるところとなつて、同人との間の子である道子、均(長男)を右三郎に引き渡し、三郎は、二児を連れて同年八月ころ、離婚届を出さないまま日本に引き揚げた。

(ロ) その後相手方とちよは、○○から樺太○○郡××村字△△に居を移して生活し、昭和二五年七月九日右そめは、同所で申立人陽子を出産した。しかし当時、樺太においては申立人の出生届をするてだてはなく、以後この点については何らの手段もとられないまま放置された。

(ハ) その後ちよは、脚気を患い、昭和二七年三月二一日○○で死亡したので、申立人は、同地で木村忠夫夫婦に事実上の養子として預けられたが、昭和三三年一月一四日右木村夫婦に連れられて日本に引き揚げてきて、先に帰国していた相手方に引きとられた。以後申立人は、相手方の許で成長し、現在は縁あつて戸田勝男と結婚し、表記住所地において同棲生活を送つているものであるが、無籍のため同人との婚姻届ができない状態にある。

3 前記二認定事実によれば、母中山ちよは、おそくとも夫である中山三郎が日本に引き揚げた昭和二二年八月以降も樺太に残つており、申立人の懐妊期間中右三郎と夫婦としての交渉をもつことは不可能であるから、申立人が中山三郎とちよとの間の嫡出子であるとの推定(民法第七七二条)は受けないものといわねばならない。

そうだとすれば、前記2認定のとおり、申立人と中山三郎との間に父子関係はなく、しかも申立人は、母ちよが相手方と同棲中これを懐胎し分娩したものであるから、相手方の申立人に対する認知の合意は正当である。

よつて調停委員丸藤憲四郎、同石丸ハルエの意見を聴いたうえ、家事審判法第二三条により、主文のとおり審判する。

(家事審判官 松本昭彦)

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